Dr. 会社員は仕事柄、日本人が書いた英語をよく目にします。
また、英語圏の国に住んでおり、国内に日本人コミュニティが点在していることから、プライベートでも日本人が書いた(と思われる)英語をよく目にします。
第二言語としての英語というものは、母語を問わず誰が書いたり話したりしても少し違和感のある表現になってしまう性質を備えています。
中国人が使う英語、ドイツ人が使う英語、ロシア人が使う英語、全てに癖があり、ネイティブの英語スピーカーが「?」と感じる表現が度々登場します。
とはいえ、日本人が使う第二言語としての英語はは断トツで違和感に溢れています。
日本人の英語は「書く」と「喋る」の両方において壊滅的で、この2つのモードにはそれぞれ固有の問題があります。
ただ、この2つのモードに内在する問題は究極的にinterrelatedで、互いに悪循環を生み出しているとDr. 会社員は思っています。
両方のモードに触れると記事が長くなり読んでいる人が飽きてしまうので、今回の投稿では壊滅的な英語ライティングに的を絞ります。
日本語からの置き換え
日本人は、「英語を使っている」と思っていても、頭の中では日本語を使っています。
日本人が書いた英語を見ると、以下のステップを踏んで生成された英文だということが一瞬で分かります。
1. 日本語で考える
↓
2. (日本語でアイデアを書き出す)
* 文章を書くことに慣れている人は、この段階をスキップできます
↓
3. 日本語で書き出した(考えた)内容を
学校で習った英文法に従って
英語に置き換える
上記のステップを経て生成された英語のほとんどは、日本人にしか理解できません。
興味深いことに、日本人が書いた英文の多くは文法が完璧です。
そのため、コミュニケーションの媒体としては役に立たない英語であっても、Google翻訳の様なツールに張り付けると、書いた人が意図したとおりの日本語が表示されるのではないでしょうか。
実験してはいないので、実際はどうなのか分かりませんが。
Dr. 会社員は現在住んでいる国で修士課程にいた頃、選択科目である外国語を履修しました。
もう10年以上前のことなのでうろ覚えですが、Dr. 会社員が出席していた授業では、日本の英語学習のように英語をひたすら他言語に置き換えるトレーニングはほとんどなかったと記憶しています。
課題ではシナリオが英語で説明されていて、シナリオに基づいてターゲット言語で表現することが求められていました。
例えば、「駅でXXまでの運賃を訪ねるときは、どう言いますか?」とか「バスルーム付きのホテルの部屋を2泊予約したいときは、どう言いますか?」といった感じです。
「が」の使い方がおかしい
日本語で考えたアイデアを英語に置き換えると、日本語特有の表現が文法レベルで英語に組み込まれ、意味が分からなくなります。
日本人が書く妙な英語でDr. 会社員が頻繁に目にするものとしては、「but」や「although」に置き換えられた「が」が挙げられます。
「クライアントのジョンさんに明日連絡しますが、この見積を確認してもらえますか?」
“We will contact our client John tomorrow, but would you please review this quote?”
上記は非常に日本語らしい英語です。
「although」にしてもいけません。
なぜなら、逆説ではないからです。
「ジョンさんに連絡すること」と「見積もりを確認すること」は論理的に相反する概念ではありません。
日本語は曖昧な言語なので、「が」を順接で用いても意味が通じてしまいます。
しかし、この曖昧さは英語にcarry overできませんし、してはいけません。
母語である日本語の使い方が怪しいと、意味の分からない英語を書く可能性が高まります。
「クライアントのジョンさんに明日連絡しますが、この見積を確認してもらえますか?」
ではなく、
「クライアントのジョンさんに明日連絡するので、この見積を確認してもらえますか?」
もしくは
「クライアントのジョンさんに明日連絡します。この見積を確認してもらえますか?」
と書いた方が、日本語でも意味が伝わりやすくなります。
普段から日本語に気を付けると、英語も洗練されるはずです。
まとめ
今回の投稿では、日本人の書く英語が壊滅的となる要因を考察しました。
Dr. 会社員は日本人の英語ライティングが壊滅的な要因の一部は感覚的に分かるのですが、具体的な改善策は分かりません。
よって、このブログ記事はあくまでも問題点の洗い出しに留まります。
人によっては問題点に気付くことで自分なりの改善策を講じられるのでは、と期待しながらこの記事を書きました。
本ブログで何度か述べた通り、母語の日本語が怪しい人は、まず日本語を徹底的に改善することが最優先事項です。
第二言語が母語以上に上達することはありません。