Dr. 会社員は以前、翻訳家はある種アーティストの様なものだ、と書きました。
翻訳は創作活動の要素を強く持っているというDr. 会社員の見方に変化はありませんが、翻訳には一般的な表現活動と少々異なる点がある、ということにも触れておきます。
それは、文章を始めとした各種媒体を通した表現活動と異なり、翻訳は主体者のエゴが大きく抑えられている、という点です。
つまり、翻訳者はオリジナルの文章を手掛けた執筆者の黒衣として表現活動を行う、ということです。
目次
アートの多くは自己表現が主
文筆業に携わる人は、自らの頭の中にあるアイデアや感情を文章という媒体を通して表現します。
美術や音楽に携わる人は、絵画や彫刻、演奏を通してアイデアや感情を表現します。
つまり、芸術活動の多くでは、主体者のエゴが強烈に表現されているということです。
芸術の多くは、自己を表現する活動が主です。
一方、翻訳では
翻訳者個人のアイデアが
全面に出ることはありません
文章中で翻訳者が存在感に溢れている場合、その文章はもはや翻訳ではなく、その翻訳者が執筆したオリジナルの文章です。
この点について、翻訳家は芸術作品の修復師と似ているとDr. 会社員は思います。
翻訳と同様、芸術作品の修復でも、珍訳に相当するものが世界各地で生産されています。
翻訳は、他人をサポートする仕事
翻訳は、自分が目立つための仕事ではなく、他人をサポートする要素が大きい仕事とDr. 会社員は考えています。
ある文章を、その文章が書かれた言語とは異なる言語を母語とする人が読めるようにする、という目的を果たすためのサポートを提供するのが翻訳家です。
実際、ごく限られたジャンルを除き、翻訳者個人の名前が公表されることはありません。
翻訳家とは基本的に
非常に目立たない職業です
目立たずに誰かをサポートすることに喜びを感じられる人に、向いている職業と言えます。
まとめ
今回の投稿では、翻訳はエゴを出さないアート活動だ、という考えを説明しました。
クリエイティブな要素が求められる一方で、自分は黒衣に徹する仕事です。
独りでひっそりと文章を読み書きするのが好きな人には、最高の職業の一つです。