翻訳を生業にしたいのであれば、資格にこだわらない方が良さそうです。
もちろん、資格を取得することが悪いわけではありません。
取っても良いけど、取らなくても良い、という位置付けでしょうか。
翻訳の仕事に就くために要件となる資格は、今のところ日本には存在しません。
翻訳の仕事がしたい人のゴールは「翻訳の仕事を受注すること」です。
「資格を取ること」に向かって舵を取らない様に、自分がどこに向かって進んでいるのかを時々見直すと良いのかもしれません。
目次
現代社会は資格が多すぎる
世の中では資格が次々と制定されており、何をするにも「とりあえず資格」という流れになっている様に見えます。
資格があることが悪いわけではないのですが、資格制定のビフォーアフターは分析されているのでしょうか。
何事にも当てはまることですが、大量に生産されるモノの多くは、「なくても困らない」モノです。
ファッションや電子機器が良い例でしょうか。
資格の多くも、本当は別になくても良いのでは、とDr. 会社員は正直思っています。
Dr. 会社員は過去にいくつか資格を取りましたが、これがなくては翻訳業に就けない、という資格は持っていません。
取得した資格の中には、放置していたため失効したものもあります。
正直言うと、研修やら更新やら、メンテナンスが面倒だったのです。
日常生活を送る上で、車や自宅や自分等、メンテナンスしなくてはならないものがたくさんあるので、取捨選択に至りました。
翻訳家としての勉強は独学でほぼどうにかなりますし、現在はネット上に役立つ情報が満載です。
また、Dr. 会社員は図書館の近所に住んでいるので、気が向いたときに紙の書籍も読めます。
高等教育はちょっと別
翻訳家に必要な資格はない一方で、大学での勉強は今の仕事に非常に役立っているとDr. 会社員は思っています。
ただ、学位そのものには、履歴書に書けるとか卒業生向けイベントに出られるといったこと以外には、あまり意味は見出していません。
また、学位は過去の実績であって、未来のポテンシャルとはあまり関係がないと思っています。
学位から何らかのリターンを期待すると
という、巷で良く使われる比喩が当てはまることになります。
Dr. 会社員にとって何が役立っているかというと、在学中に膨大な量の本や論文を読み、ひたすら文章を書き続けたことです。
学生のうちに、一日中文章を読み、考え続け、調べ続け、書き続ける、ということに慣れたので、翻訳で同じ様な生活パターンになっても、負担に感じたことはありません。
まとめ
今回の投稿では、翻訳は資格にこだわると上手くいかない、という考えを説明しました。
資格も学位も、持っていれば翻訳の仕事が入って来る、というものではありません。
取得するには時間もお金もかかりますし、資格の多くは取った後も高級車並みのメンテナンスが必要です。
メンテナンスという点では、放置OKの学位の方がお得です。
資格や学位を取得するのであれば、ただの肩書としないためにも、中身、つまり取得するまでの過程が、未来の自分にどう役立のか、ある程度見当を付けた方が良さそうです。